香川大学医学部特別講義 「国際疾病分類(ICD)概論」
<2023年9月26日>
今年も香川大学医学部にて特別講義を担当させていただきました。
対象:4学年約101名
タイトル:国際疾病分類(ICD)概論
講義概要:
1. 国際疾病分類(ICD)とは?
・国際統計の重要性~歴史的流れから
・ICDの我が国における利用
2.臨床研修の到達目標に関連して
・臨床研修制度
・到達目標~医療記録「死亡診断書」
3.ICF (国際生活機能分類)について
・ICFの成り立ち
・ICFの概要
<講師の感想>
臨床実習直前の4年生の学生の方々に、国際疾病分類(ICD)の歴史的な流れから、ICDの我が国における利活用、臨床研修制度の到達目標に関連して、医療記録、特に死亡診断書の重要性や、チーム医療を実践する上での、「人が生きることの全体像を捉える」というICFの共通言語としての役割などをお話しました。
講義の休憩時間などに、積極的に質問を寄せていただき、「医師」となる自分たちに何が必要かという強い目的意識と関心の高さを実感しました。
マイナスの中にプラスを見出す。
そんな「ICF」のマインドセットが、日々の学習にも活かされて、育まれていくことを願っています。
<講義アンケート結果一部抜粋>
ICFの「活動」の捉え方として、単なる「できる・できない」の問題で終わらせず、「していること」「できること」を見極め、問題点が個人にあるのか、環境にあるのかを考えることで、その人に最適な対応が可能になることがまさに目からウロコでした。
「Impossible」から「I'm possible」という言葉はすごく良い言葉だと思いました。臨床研修の時に、しっかりと意識して取り組んでいきたいと思いました。
疾患への共通言語を持つことはデータとして分析する際に重要になると考えていたが、分類そのものにも理念があることは知らなかった。理解しきれたとは言えないが、分類において何が切り分けられているかを把握し、それを個人ごとに照らし合わせて妥当かどうかは考えられるようにしておきたいと思う。
死亡診断書などに記載された原死因のデータが、ICDにおいていかに重要かといったことなどが理解できた。人権意識の変革などによって、世界的にも様々な概念が生まれてきており、歴史を知ることで新たな学びにつながるように思えた。
ICDは、適切な統計を得るために医学的に類似している疾患、傷害、状態などを区別して整理するための分類であり、それに対して医学用語は診断名や医療行為等を一つ一つ学術的に命名したもので、両者には大きな違いがあることが分かった。
”Impossible""ではなくて”I'm possible""という発想も面白いと思った。障害があってもよりよく生きるために、生きることの全体像をとらえるためにとても大切な概念であるが、もっと一般的に医療などの分野以外の人にも知ってほしいと感じる。
ICDについては、臨床系の講義のいくつかで何度か触れられていたため、存在そのものは知っていたが、そもそも医学的分類であると認識していたため、あくまで統計的分類として扱うことが望ましいと知り、目から鱗だった。はじめは、なぜ法医学の講義の中でICDの話をするのか疑問に思っていたが、死因統計の中で大きな役割を占める法医学の範疇としてとらえることができると考えれば、法医学を学ぶ上でも重要なのだと認識が改められた。また、これまでICFについては、公衆衛生学の講義で一度だけ聞いたことがあったが、障害をもつ人の生活可能範囲を共有し、支えるためのものだというようなイメージで理解していたため、今回の「その特性を抱える人が人として生活していくためにどれだけの制限があり、どのような支援が必要とされるか」という、全人的な目標を達成するためのものであるということは意外な事実だった。似て異なるこの2つのイメージは、僕自身が現代の医療に感じている「医療における全人生の欠如」を埋めようとする活動の一つがまさしくICFなのだろうと感じた。医学と社会の関わりを感じさせられる有意義な講義だった。
医療のデータは、あればあるほど良いと思いますが、やはり個々の国や地域だけのものでは不十分なのだと思いました。その問題を世界全体で解決するための「共通言語」としてのICDは非常に大切だと感じます。このような取り組みが1900年ほどから始まっていたことに驚きました。これから自分もそれを構成する一員として、責任を持って統計にデータを共有したいと感じました。また、ICFは、障がいを持つ人のためのものと捉えるのではなく、全ての人のためのものと捉えることで、様々な人が協力し合いながら解決に向かうことができるのではないかと感じました。「障害」を「マイナス」というひとくくりではなく、「全ての人がもつ問題の一つ」と考えたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。